ほとんどの方が毎日髪を洗っていると思います。シャンプーも数多く種類があり、質感や好みに合わせていろいろなシャンプーを使い分けている方も少なくないでしょう。
ではシャンプーの始まりってご存じですか?
人類はいつから髪を洗っているのか?
昔の人たちは何で髪を洗っていたのか?
実は毎日シャンプーをするようになったのは〇〇年前だった!?
1.シャンプーの語源
シャンプーはヒンドゥスターニー語の「champo」が語源です。「champo」は、インドのムガル帝国のビハール州周辺で行われていた、香油を使った頭皮(髪)マッサージの事を示しています。18世紀にイギリスに伝わり、1860年ごろにシャンプーが頭皮マッサージから洗髪を意味するようになりました。
2.洗髪の歴史
紀元前、「髪を洗う」という行為は「穢れ(けがれ)を払う」目的でされていました。神様に祈りを捧げる際に、穢れを払う“禊(みそぎ)”としての水浴行為が洗髪の始まりと言われています。
最初は水だけでしたが、灰や米のとぎ汁、ツヤを出すために油などを使うようになります。灰を水に溶かすと強いアルカリ性の水ができます。アルカリの特徴として脂肪を鹸化(けんか)し、たんぱく質を変性・加水分解します。鹸化とは脂から石鹸を作るときに起こる化学反応です。このアルカリ性の水は、簡単にいうと美人の湯です。
美人の湯は弱アルカリ性ですが、温泉につかった後に手で体をこするだけで皮脂などを落とすことができます。アルカリに含まれる水酸化ナトリウムや水酸化カリウムなどが、皮脂と反応して石鹸のような状態になり清浄作用が得られるからです。
灰水は灰の量によりますが、強いアルカリ性を示すので、美人の湯より強い作用になります。汚れは良く落ちますが、そのぶん毛髪のダメージも大きくなるので長い髪では灰水で洗った後が大変だったでしょう。
それに比べて米のとぎ汁はかなり優しく髪を洗えます。米のとぎ汁には、少ないですがたんぱく質や脂肪酸が含まれ、界面活性力があり、脂と水を混ぜることができます。混ざり合ったところで洗い流せば汚れは流れていきます。
しかし、髪には優しいのですが洗浄力が弱いので臭いまでは取ません。もしかすると、灰水と米のとぎ汁を使い分けていたのかもしれませんね。
3.日本の洗髪文化
日本人の洗髪の文化は平安時代からです。平安時代の美しい女性の条件は、髪の長さと美しさにありました。ほとんどの女性が身の丈ほどの長さの髪で、髪を切るのは出家した時だけでした。
そんな平安時代ですが、髪を洗うのは年に一回ほどだったそうです。「泔(ゆする)」という米のとぎ汁で髪全体を濡らして洗っていました。
この頃の著作物『宇津保物語』では7月7日の七夕に髪を洗っていたと書かれています。文化庁伝統文化課によると、七夕に女性が川などで髪を洗う習慣が全国各地にある、またはあったとされています。
4.界面活性剤について
シャンプーにはなくてはならない“界面活性剤”の歴史も簡単にお話しします。紀元前3000年ごろに、油と木炭を混ぜたものが最古の石鹸とされています。
7世紀にアラビア人によって固形の石鹸が作られ、12世紀に入るとヨーロッパで本格的な石鹼の製造が始まります。1800年頃に石鹼の主原料である炭酸ナトリウムの製造方法が発明され、石鹸工業が発展しました。
日本に石鹸が入ってきたのは1543年(天保12年)、ポルトガル人によって鉄砲と一緒にもたらされました。明治に入ってから工場が作られ、本格的な工業へ発展していきます。
第一次世界大戦や第二次世界大戦中、食料不足になり食用油脂も不足しました。石鹸は動植物油から作っていたため、製造が困難になりました。ドイツでは天然の油脂を使わない合成の洗浄剤を使うようにと、法令で定められたほどです。
石鹼が不足したことで、代わりのものを作ろうと世界中で研究がされ、今日も使われている界面活性剤の大半が開発されました。シャンプーによく配合されている高級アルコール系界面活性剤ができたのもこの時です。
開発されたばかりの合成洗剤は分解されにくい物質だったため、河川の水質汚染や、地下水の汚染問題を引き起こす原因となっていました。環境を守るため、微生物分解がしやすい合成洗剤へ転換が進められていきます。
いく度となく環境問題に直面しましたが、その度により良い物へと変化し、今では生活になくてはならないものとなりました。洗剤だけでなく、化粧品やアイスクリーム、果汁入り清涼飲料などにも界面活性剤が添加されています。
5.江戸時代の手作りシャンプー
江戸時代になると月に1~2回、水で髪を洗うようになります。髪を整える油として「伽羅の脂」が広まりますが、粘度が高いため水で洗うだけではほとんど落ちませんでした。伽羅の油を落とすため、江戸時代の人々は自分で手作りのシャンプーを作って髪を洗っていました。
1813年(文化10年)に出版された美容本『都風俗化粧伝』によると、「布海苔(ふのり)」を熱いお湯で溶かし、そこに「うどん粉」を入れ、よく混ぜ合わせたものを髪に揉み込み、熱いお湯ですすぎ、最後に水で洗うとあります。
上の方で触れましたが、米のとぎ汁と同じように「うどん粉」にもたんぱく質や脂肪酸が含まれています。米のとぎ汁よりもうどん粉の方がこれらの成分が豊富に含まれるため、より良い洗浄作用が得られます。
うどん粉に混ぜ合わされる「ふのり」には「フノラン」という多糖体(シャンプーやリンス・トリートメントに配合されているトリートメント成分)が含まれており、髪を保護しながら汚れも落とせるようになっています。この手作りシャンプーで洗うと、油も匂いもさっぱりと落ち、艶も出たそうです。
6.近代の洗髪
・明治
先ほどもお話しましたが、明治になると石鹼が本格的に作られ、広まっていきます。それにともない、洗髪用の石鹸が発売されます。高価でなかなか手の出なかった石鹸ですが、安価な石鹸が流通していきます。しかし、まだ髪を洗う頻度は月に1~2回ほどです。
・大正~昭和初期
大正になると、白土・可奈石鹸・炭酸ソーダなどを配合した髪洗い粉が流通します。昭和元年には『モダン髪洗粉 植物性シャンプー』が発売されます。日本で初めて商品名に「シャンプー」という言葉が使われた商品です。
・昭和中期
戦後、日本の洗髪は劇的な変化を遂げます。今までは月に1~2回だった洗髪が5日に1回になります。この劇的な変化をもたらしたのが液体シャンプーと内風呂です。1950年代は銭湯が全盛でしたが、1968年には内風呂率が7割以上になり、それにともない洗髪(シャンプー)の頻度が高くなりました。
・昭和後期~令和
ほぼ毎日シャンプーをするようになってきました。1980年代には「朝シャン」が流行し、2000年代には「弱酸性シャンプー」や「ノンシリコンシャンプー」など、中身にこだわったシャンプーが流行しました。汚れを落とすだけでなく、プラスアルファの新たな機能性のあるシャンプーが数多く生まれています。
まとめ
世界的に見て、毎日シャンプーをする国はほとんどないです。世界の人々は平均すると2日に1回シャンプーをすると言われています。日本人が凄く綺麗好きというわけではなく、気候や水質、文化などの違いがあるからです。
シャンプーの頻度が増えるとともに、髪や頭皮のケアが注目されてきています。はるか昔から令和の時代まで髪の毛の美しさを求めて、紀元前の灰水・米のとぎ汁、江戸時代のうどん粉とふのり、明治のせっけん、現代のシャンプーへと進化を遂げてきました。
令和になって頭皮にも髪にも優しいシャンプーがどんどん発売されています。ぜひ皆さんも自分にあったシャンプーを探してみてください。きれいな髪は創れます。